Book9看板 Dragon Sword Saga9 〜Ⅰ.-2〜
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~ 第9巻『時の歯車』 ~

剣月紫ライン  Ⅰ.『女王誕生【前編】』 妖精紫アイコン2 ~ 密約 ~  剣月紫ライン

 口うるさくギルシュが休むよう言い続けていたせいか、セルフィスの体力は少し ずつ戻り、薬も飲まずに済むようになった。  だが、ギルシュの方は、これまでよりも、城の中で、居心地が悪くなってきていた。 というのは、彼だけではなく、仕えていた宮廷魔道士たちにも言えることであった。  エリザベス大公妃に取り入ろうと、方々からやってきた得体の知れない魔道士たち が、しょっちゅう宮廷に出入りするようになったのだ。  宮廷魔道士の長が死んでから、その後は、ザビアンが引き継ぐことになった。  ザビアンは、まだ中年ほどで、長としては若かったが、冷静な判断が出来、実力も あったため、宮廷の人々からも承認された。  宮廷魔道士の中で、最も若いギルシュは、人好きのする雰囲気であるが、ザビアン は外見からして冷たく、近付き難い、典型的な魔道士であった。  宮廷魔道士という立場に、あまりにも忠実な彼を、ギルシュ自身は、あまり好いて はいなかったが、命令には忠実に動いていた。  『よそ者』が多いため、内輪だけでも結束を固めておかなくてはと、宮廷魔道士 たちの絆は、より一層深まっていったのだった。 「まったく、やりにくい宮廷になってしまいましたよ」  ギルシュは、身振り手振りで話をすると、はあと溜め息をつき、出された紅茶を すすった。  彼は今、記憶をなくしている国王の側付き魔道士である、自分の上司に、会いに 来ていた。  長閑(のどか)な田園風景が、窓越しに見える。ここが同じベアトリクスかと疑い たくなるほど、都会的な城下町からは、かけ離れた景色に、ギルシュは安心して、 見入っていた。 「やはり、恐れていたことに。あの大公妃が実権を握ってから、早くも、宮廷に波風 が立っているようだな」  初老に入ろうというところだろうか、国王側付き魔道士として長く勤めるバルカス が、額にしわを刻んでいる。 「あの四角四面なザビアン殿ですら、まだマシだと思えるような気がしてしまいます よ。よそから来た魔道士たちの中には、『魔道士の塔』に登録していないヤミ魔道士 までいるんですよ。そんな奴らが、このベアトリクスの宮廷をうろうろしているなん て、信じられません。そのせいか、セルフィス様を付け狙う妖魔が、最近増えたよう に思うんです」  バルカスは、ギルシュの話を聞いて、腕を組み、唸った。 「ベアトリクス宮廷が、ごたごたしている中、蒼い大魔道士めが、そこに付け入って、 公子様を手に入れようとしているのかも知れぬ。大公妃め、自分の息子が狙われやす い環境を、自ら作っていることに、気が付かぬのか」 「蒼い大魔道士が、セルフィス様の魔力に目を付けていることなど、知りはしないも のですから。知ってしまえば、セルフィス様を、四六時中監視してしまい、一層、 公子様に負担がかかってしまいます。私も動きにくくなりますし」 「そこが難しいところだな」  バルカスが、小さく溜め息を吐く。 「バルカス殿、公子様は、マリス様との婚約は破棄してしまってはいても、大公妃の 裏をかいて、なんとかマリス様を助けたいとお思いになっておられるのです」  バルカスが顔を上げる。 「それを聞いて安心した。婚約破棄の知らせを聞いた時は、公子様は、大公妃の言い なりになってしまわれたのかと、心配したのでな」 「それも、投獄された、マリス様の養父ルイス・ミラー伯爵を助けるために、致し方 なかったのです。これで、安心したのか、大公妃も、セルフィス様から少しは遠ざか りました」  ギルシュは、少し慎重な面持ちになって、続けた。 「そこで、今、こっそりと、セルフィス様独自の軍を作ろうと、私も奔走している ところなのですが、なにしろ、謀反人のレッテルを張られたマリス様を救う部隊と いうのは、かなり難しいのです。皆、大公妃の無慈悲な仕打ちを恐れていて、少しで も逆らうような真似は出来ないという国民が多いので。しかも、マリス様とかかわり のあった人物を、大公妃が次々と投獄しているので、ご幼少の頃のお仲間を見付けて、 お話しすることすら、ままならないのです」 「ますます狂った話だな」  ギルシュは改めてバルカスを見た。 「陛下のご容態は、いかがですか? 」  バルカスが、首を横に振る。 「お身体は、とうに元気におなりなのだが、記憶の方はさっぱりで、私のことも、 未だ思い出しては頂けぬ。大公妃が密かに雇っているヤミ魔道士の術が、かかって いると思われる。奴に術を解かせるか、もしくは倒さぬ限り、陛下の記憶を取り戻す のは難しいだろう」  ギルシュは、気の毒そうに、バルカスを見つめた。  彼ら二人の魔道士の考えでは、なんとか王の記憶を戻し、大公妃の陰謀を暴露し、 マリスを見つけ出して、元通り正当な家系がベアトリクスを治めていくよう、ことを 運ぼうというところであったが、それは、行き詰まっていた。  職務のため、ギルシュが帰った後も、バルカスは考え続けていた。 (応援を頼むべきか……。だが、ベアトリクスの宮廷魔道士たちは、正規の魔道士で ありながら、魔道士の塔からは孤立し、独自のネットワークを持つ。魔道士の塔から 応援が来たとしも、はたして協力するかどうか……。そもそも、宮廷魔道士たちは、 ベアトリクス王国というよりも、王家にのみ忠実な組織。今の国王は事実上大公妃で あるから、皆、彼女についてしまっている。魔道士の塔にしても、ひとつの国の未来 などには、わざわざ手を貸さぬだろう。よほど信頼できる者に頼むとなると……)  バルカスは、知っている者たちの顔を思い浮かべるが、いずれも偏屈者であり、 研究には向いているものの、機転を利かせられそうな者は思い当たらず、だからこそ、 公子の側付き魔道士には、まだ若いギルシュを呼ぶしかなかったのだと、思い返した のだった。 (そうだ、ひとりだけ、同期で話のわかる奴がいた! )  バルカスは、同世代の、銀髪の男を思い出した。 (ベーシル・ヘイド、彼ならわかってくれる。だが、今は、魔道士の塔上層部で、 重要な人間であるから、そう簡単に塔を離れて、ここまでは来られないだろう。私は、 陛下のおそばを離れるわけにはいかぬし……)  バルカスの苦悩は続いた。


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 一日の仕事が終わり、セルフィスの書斎では、ギルシュが書類を整理していた。 「ギルシュ」 「はい、公子様」  言われなくてもわかっているとばかりに、ギルシュは手をさっと振った。  結界を張ったのだ。  これで、魔道士たちにさえ、秘密の話は聞こえない。 「僕の独自の軍の方はどう? 少しは集まりそう? 」 「それが、マリス様の育ったミラー家の兄上たちは、金獅子団におられるのですが、 現在、お三方とも謹慎処分が出ています。ミラー家を始め、親族の方々のお館では、 騎士や魔道士たちが見張っていて、出入りが難しいかと。その他に、戦力になりそう な、彼女の士官学校時代の友人たちをあらってみても、ほとんどが投獄されているの で、彼女とは関係のない人々にも探りを入れてみたのですが、皆、大公妃の仕打ちを 恐れているので、今のところ、とても信頼できそうな人材は、見当たりません」  セルフィスの表情は曇り、窓の外に視線が移った。  ギルシュも、静かに、セルフィスを見つめる。 「やっぱり、無理なのかなぁ、僕が、お母様の裏をかこうなんて。僕のような世間 知らずじゃ、お母様には敵(かな)わないのかも……。情けないね」 「何をおっしゃいます。公子様のやさしいお人柄は、皆が認めております。宮廷に 出入りしている貴族たちの間でも、大公妃の恐怖政治的なやり方には賛成できず、 そのような方々の中には、セルフィス様を支持する方も、少しずつながら出て来て いるのは事実です。公子様は、公子様のやり方でいいんです。こう言ってはなんです が、あのような無茶苦茶な母上だからといって、ご自分の良いところを曲げてまで、 対抗する必要はありませんよ。わかる人は、ちゃんとついてきてくださいますから」  セルフィスは、ふっと肩の力が抜けたように笑った。 「きみと話していると安心するよ、ギルシュ。きみは、僕を元気付けるのが上手だね」 「私は思ったことを素直に申し上げているだけですが? 」 「そうだったね。だから、きみのことは信頼できるんだ」  セルフィスは椅子から立ち上がると、窓の方へ行き、遠くを眺めた。 「ギルシュ、……ラン・ファさんを、なんとか探せないだろうか? 」 「コウ・ラン・ファ殿とは、マリス様の師で、黒鷹将軍であられましたね。魔道も 使いこなす方と伺ってます。ラン・ファ殿のことは、国王陛下があのようなことに なってから、バルカス殿も探してみたようですが、見付からなかったようです。 魔道の使い手となると、回避する術も知っているので、少々探しにくいと思うのです が……」 「だったら、ダンなら、どうかな? ダンは元騎士だし、魔法は使えない。まだ探し やすいんじゃないかな? 」  ギルシュは、無表情になってから、続けた。 「私がセルフィス様の護衛を勤めるようになって間もない頃、公子様のお部屋に忍び 込んできて、なんだかんだいちゃもんを付けた後に出国した、あの生意気な若造の ことですか? 」  セルフィスは、振り返ると、困ったように笑いながら、うなずいた。 「彼は、僕よりもずっと前からマリスを知っていて、マリスの兄みたいな人なんだよ。 彼なら、マリスのために、立ち上がってくれると思うんだ。どうかな? ダンを、 探してきてくれないか? 」  ギルシュは首を横に振って、強く言った。 「私には、あの男は危険に思えます。あの男に頼もうものなら、その謝礼に、マリス 様と、最高の地位をよこせと、無理な要求をしてくるに決まっています」  セルフィスは、力なく笑った。 「ダンは、そこまで悪い人じゃないよ。事情を話せば、わかってくれるだろう。彼は、 昔、ベアトリクスの騎士になって、国に尽くしたいと、本気で思っていたのを、僕は 知っているんだよ。それに、……例え、きみの言う通り、彼がマリスを手に入れ、 この国の王座についてしまっても、彼には、それだけの器があり、僕にはなかった ってことなんだから……僕は、それでもかまわないよ……」 「公子様っ! 」  セルフィスは、ギルシュの声に驚いた。 「いけません、そのように、お考えになっては! 公子様は、マリス様と一緒になら れるべきなのです! 例え、あのダンという男が、この国の陰謀をすべて解決でき、 マリス様をも無事探し出し、名誉を回復することが出来たとしても、公子様を追い つめるようなことをすれば、私があの男を殺します! 」  ギルシュの真剣な顔に、セルフィスは圧倒されていた。 「お願いですから、あんな男になど、頼らない方が懸命です。公子様の秘密部隊は、 なんとかして私が集めますから、結論をお急ぎにならずに、どうか、もう少し待って いてください」  ギルシュは、ぺこっと頭を下げると、背を向けて、部屋を出ていこうとした。  その時、ふわりと、後ろから、抱きつかれた感触に、進みかけていた足を留めた。 「……セルフィス様? 」  ギルシュが、首だけ振り返ると、セルフィスが、ギルシュの背に顔をうずめていた。 「ギルシュ、ありがとう。僕の本当の味方は、きみだけだ。お母様よりも、誰よりも ……。僕を、ずっと、守ってくれるかい? 」  か弱い視線を送るセルフィスに、ギルシュは、母親のような気持ちで微笑み、 うなずいた。 (公子様は、淋しいのかも知れない。思えば、彼と親しかった貴族の若者たちは、 大公妃を恐れて、近寄らなくなってしまったし、姫君たちは、相変わらず寄っては くるけど、彼女たちでは、公子様のやすらぎにはならない。父上である大公殿下も、 近頃お加減がよくなく、部屋に閉じこもり気味だし、……せめて、心の支えであった マリス様さえ戻っていらっしゃれば、公子様のお気持ちも、大分違うのだろうけど ……)  公子の部屋を出た後も、ギルシュは、セルフィスの心を案じていた。 「いつになったら、あの娘の行方がわかると言うのです! 」  大公妃エリザベスの叱咤する声が、室内に響く。  宮廷魔道士たちは、ひざまずき、頭を垂れていた。 「そなたたちは、優秀な魔道士であろう? そのようなことでは、雇った魔道士たち の方にも、頼むしかあるまい」 「おそれながら、殿下」  遠慮がちに口を開いたのは、突如まとめ役となったザビアンであった。 「王女殿下の痕跡は、いくら探索しても見つかりません。考えられるのは、強力な 魔道士と一緒だということです」 「強力な魔道士ですって? ふん、怖じ気付いたのですね」  ザビアンは、一層頭を低くした。 「もうよろしい。そなたたちだけに任せてはおけません。他の優秀な魔道士たちにも 頼むことにします。どちらが先に王女を見つけるか、せいぜい、競争して探すことね」  ふわふわと羽扇子で仰ぎながら、大公妃は、ぷいっと背を向けて出て行った。 (まったく、ますますイヤな女だぜ。こんな女の命令なんか、黙って聞くことない のに)  後方でひざまずいていたギルシュは、呆れ果てていた。 (ところが、こいつらときちゃあ、反抗なんて夢にも思わないみたいだ。忠実に仕え てるばかりじゃ、あまりにも脳がないんじゃないの、ザビアンさんよ? )  ギルシュは、日頃から、他の宮廷魔道士たちを、自分の頭でものを考えられない 人種だと、心の中で小馬鹿にしていた。  つまらないお説教の後、セルフィスのもとへ戻ろうと回廊に出て、すぐに足を 止めた。 「誰です? 」  不審な気配を背後に感じ、振り返らずに尋ねる。 「ヒヒ……、ヒヒヒ……」  品のない笑い声を立てて、彼の後ろに、煙とともに現れたのは、小柄で痩せこけた、 目ばかりが大きい、ハチのような顔をした男だった。  ギルシュは首だけ振り返り、興味のなさそうな目で、男を見つめた。 「あんたが、公子殿下の側付き魔道士とやらかい? 」 「だったら、なんです? 」 「いや、別に。ヒヒヒヒ……」  小柄な男は、値踏みするようにギルシュを眺めた後、さっと、姿を消した。  ギルシュは、何事もなかったような顔で、歩き出した。 (あの小男、蒼い紋章の入ったペンダントをしていやがった。間違いなく、蒼い 大魔道士のまわし者……! )  ギルシュは、気を引き締めると、ひゅんと、空間の中に入った。


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「ギール、そこにいるの? 」  エリザベスが、暗幕を敷き詰めたような真っ暗な部屋の中で、天井に向かい、 呼びかける。  暗闇の中には、ぼやぼやと、さらに黒い影が現れ、人の形となる。  黒く長い髪を、後ろでひとつに束ね、浅黒い肌に、黒い瞳の闇夜のような男の姿 だった。 「いよいよ、実行してちょうだい」  一見して、東洋の魔道士は、ひざまずいた。 「その前に、もう一度確認いたしますが、……わざわざ国王を殺す必要があるので しょうか? 王女を誘き出すためであれば、殺すよりも、人質として幽閉しては? 」 「その意見は、何度も聞きました。あなたも、あの脳なしの宮廷魔道士たちと一緒 なの? 何度も同じことを言わせないでちょうだい」  エリザベスは、不愉快そうに、魔道士を睨みつけた。 「殿下。殿下を王座に即(つ)けるためのこの計画は、本来、私と殿下のみで行って きたはずです。それなのに、なぜ他のヤミ魔道士などを雇ったりなさったのです?  蒼い大魔道士が、以前から、この国に目を付けていると、私が忠告していたにも かかわらず、その部下をも、みすみすこの国へ入れてしまうとは……! この国が、 乗っ取られてもかまわないのですか? 」  抑揚のない、典型的な魔道士の話し方であったにもかかわらず、魔道士の声は、 幾分高ぶっているように聞こえる。 「ふん。大魔道士だかなんだか知らないけど、この私がそう簡単に、たかが魔道士 風情に、付け込まれるとでも思って? あの小憎たらしい王女を捕まえるためなら、 大魔道士とやらの力を、こっちも利用させてもらえばいいのよ。つまり、王女を始末 してしまうまでは、手を結んだと見せかけておくの。大事なベアトリクスを、そんな 得体の知れない魔道士のじいさんになんか、渡すものですか! 」  大公妃は、羽扇子を閉じ、ソファにゆったりと腰を下ろし、目を閉じた。  ギールは、しばらく沈黙していたが、思い切って口を開く。 「あなたは、魔道士を軽んじておられる。特に、蒼い大魔道士は、あなたが考えて おられるほど、甘くはない」  大公妃が面倒そうに、薄く目を開いた。 「あなたはね、私の言われた通りにしていればいいの。あなたにとっても都合のいい 話なんじゃなくて? 早く国王を殺してしまえば、私との契約にあった『例のもの』 が、手に入るじゃないの。なんなら、国王を殺した時点で、お役御免にしてあげても いいわよ。あなたの欲しがっている『例のものーー王家の聖杯』も、それで手に入れ られるでしょう? 」  ベアトリクスでは、正統な王の証として、王家の首飾り、聖剣、そして、聖杯が あった。  首飾りと聖剣は、既に、エリザベスが手にしている。 「聖杯には、代々王家の魔法がかけられていて、その血を引く者でなければ、箱から 取り出すことも出来ない。だからこそ、私は、あなたと組んだのです。私ひとりで 聖杯を手にすることは出来ません。王家の血を引く者が、結界を解かなければ」  ギールが、大公妃のソファに近付き、ひざまずいた。 「まったく、あんな古びた聖杯が、なんでそんなに欲しいのかわからないわ。ただの 王家の証(あかし)ってだけですもの。私には、あんなものには興味はないわ。国王も ろとも『不慮の事故』で燃えてしまえば、それを継ぐ儀式も必要なくなり、今後、 あれがなくても、国王を名乗ることは出来る。ねえ、そうではなくて、ギール? 」  にやりと笑う大公妃の怪し気な笑顔に、ギールの額を、冷たい汗が伝った。 「……恐ろしいお方だ。実の兄を、そのように……」 「今さら、何を言っているの。あなたこそ、なんとかの毒とやらを使って、王妃や 王子たちを殺したじゃないの」  大公妃は、面倒そうに言うと、ソファから立ち上がった。 「そろそろ時間だったわ」  エリザベスは、いそいそと髪を直すと、暗闇の部屋の出口へ向かった。 「いいこと? 早いとこ、お兄様を殺すのよ。それが済んだら、報告してちょうだい。 聖杯の入った箱を持ってくれば、私が開けてあげるわ。その後で、私がベアトリクス 新女王として名乗りを上げ、それで、私とあなたの付き合いも終わり。わかったわ ね? 」  一方的に、大公妃は魔道士に告げると、弾(はず)むような足取りで、部屋を出て 行った。  夫である大公の身体の具合が悪くなった頃から、大公妃に若い恋人が出来たことは、 ギールも知っていた。  暗闇に、しばらく取り残された魔道士は、そのうち、沈黙の闇の中に、溶け込んで いった。  サリナエ領ーーベアトリクスでは、かなり奥まった田舎に当たる、王家の療養場所 としているところである。  数人の使用人と、国王の側付き魔道士バルカスだけが、簡素な建物の中で、ひっそ りと暮らしていた。 「お加減は、いかがですか、陛下」  バルカスの声に、記憶をなくした王が、振り返る。  肩まで下りた金髪に、王冠、厳格な顔に、水色の瞳の、がっしりとした中年の男が 微笑んだ。 「バルカス、私は病気ではないのだから、そのように病人扱いしないでおくれ」 「失礼いたしました」  バルカスが頭を下げる。  王は、大きな肘掛け椅子に腰かけると、溜め息をついた。 「皆が、私を王だと言うが、私には、実感がない。お前も、私が成人した時から仕え ていると聞くが、やはり、思い出せない。だが、お前が、私のことを、非常に大切に 思ってくれているのはわかる。私が今、信じられるのは、お前だけだ、バルカス」 「陛下……」  バルカスは、なんとも言えない表情のまま、頭を下げた。  王は、おもむろに、壁にかけてある一枚の肖像画を見た。  明るい茶色の髪に、紫色の瞳の、愛らしい若い女性が描かれている。 「彼女が、ジャンヌだということはわかるのだが、それが何者であったのかも思い 出せぬ。だが、よほど、私に縁(ゆかり)のある人物なのだろう。お前の言うように、 私の愛する女(ひと)だったのだとは思う。この絵を見ていると、どこかときめくよう な、初々(ういうい)しい感覚が、甦ってくるのだ」  王の哀愁を帯びた瞳に、バルカスの中にも、行き場のない感情が浮かんで来る。 (ジャンヌ殿、いったい、今どこに……)  王は、ジャンヌの肖像画を見つめたまま、問いかけた。 「この肖像画にそっくりであった、あの若い娘も、この国を出て、半年ほどになる そうだな。私の娘というのなら、なぜ彼女は出て行ってしまったのだ? 彼女と暮ら せば、私の記憶が戻るのも、早いかも知れぬのだが……」  実の妹の陰謀だとは、あまりにショックが大きかろうと、バルカスは、王には 詳しいことは何も伝えずにいたのだった。 「殿下。マリス姫は、必ず戻られます。今は、少々事情があって、国を出ては いらっしゃいますが、必ず、陛下に、元気なお姿をお見せしてくださることでしょう」  バルカスは、それだけを言った。  それから、間もなくであった。  突然、召使いの悲鳴が聞こえ、バルカスも王も、ハッと、身を強張(こわば)らせた。  騒然とした中で、バルカスが王を庇うように前に出ると同時に、扉がバタン! と 開いた。 「陛下……どうか、お逃げくださ……い……! 」  血まみれになった召使いの男が、息も絶え絶えにそう告げると、床に倒れ込んだ。 「何事だと言うのだ!? 」  王が叫ぶが、バルカスは動こうともせず、王を制したまま、炎の向こうを、じっと 見据えた。  炎の奥からは、黒い人影が現れた。 「ご機嫌(きげん)麗(うるわ)しゅう、ベアトリクス国王陛下」  静かな声が、炎の中から聞こえる。どこか東洋訛(とうようなま)りのある声だ。  バルカスは、ぶるっと鳥肌が立つような感覚にみまわれた。  黒い背の高い影は、まぎれもなく、大公妃と密約を交わした魔道士ギールであった。  浅黒い肌の東方の魔道士は、無表情な冷たい視線で、王とバルカスを見つめる。 「突然で申し訳ないが、あなたのお命を、頂戴(ちょうだい)しに上がりました」  そう言ったギールを、バルカスが鋭く見返す。 「そう簡単にさせるものか、大公妃のイヌめ! 」 「私の存在を、ご存知でしたか。そうそう、あなたとは、一度、お会いしていたので したね、陛下が記憶を無くされた時に」  バルカスの瞳が、カッと見開いた。 「貴様、よくも、しゃあしゃあと……! 」  バルカスの脳裏に、その時の光景が、浮かんだ。  狩りの最中、国王の乗っていたウマが、足元にいたヘビに驚き、落馬した王を 救おうと、バルカスが空間を移動したその時、彼は、何者かに腕を掴まれ、身動きが 出来なかった。  そして、王は落馬し、記憶を失った。  その時、腕を掴んで引き留めたのが、このギールであったと、一目で、バルカスは 感じ取った。 「陛下は、私がお守りする。お前たちの思い通りになど、させてたまるか! 」  バルカスは、後ろに庇った王を、結界で包み込む。王は薄い膜の中で驚き、困惑 している。  ギールの放った炎の球を、バルカスが瞬時に消えて、回避する。  バルカスのてのひらから放たれた放電が、ギールに襲いかかるが、今度はギールが 空間に逃げ込んで回避した。  二人の魔道士は、そのまま、王の視界から消えた。


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